陳腐な台詞に早変わり
60〜70代ぐらいの元気な爺さんだったのだが、接客中に突然『君は素敵な人だな!生まれ変わったら一緒になろう!』と言われた。しかし、そのあとすぐに『今はまだダメなんだけどな。女房子供が居るから。だから生まれ変わったらな!』と一方的に付け足され、苦笑いしか出来なかった。
年賀状狂想曲〜考察編〜
先日の恥でしかない情けない記事を、たくさんの方が読んで下さったようで感謝しております。
今日も宣言通り、年賀状ネタをしつこく書かせて頂きます。
昨年も数々の苦難を乗り越えて、何とか年内に年賀状を出し終えることが出来た。そして、迎えた1月1日。友人知人が少ない私にとって、この日は自分が寂しい人間だと言うことを心底痛感する日だ。
暗黒の学生時代を送り、消し去りたいほどの勘違い期を経て、コミュ障を拗らせ引きこもった私宛ての年賀状は、安定した人生を送ってきた主人の年賀状の枚数と倍近く違う。もちろん、こんな私に年賀状を送ってくれる人がいるだけ感謝しているのだが、ほとんどが主人の年賀状の中で、自分宛ての年賀状を探すのはなかなか至難の業だ。
数少ない友人からの年賀状は、お子さんとご主人との仲良しな家族写真がほとんどだった。例年は海外旅行やテーマパークでの写真入り年賀状が送られてくるのだけれど、今年はコロナ禍ということもあり、自宅や公園で撮ったものが多かった。なので、毎年自宅か公園での写真を送っている私も、今年だけは無駄に堂々とすることが出来た。
一方で、このコロナ禍の中、子沢山になった友人が何人かいた事に驚いた。こっちはあと一人増えたら間違いなく破産行きであるというのに。どこにそんな余力が残っているのだろうか…
あと、疑問というか何だかなぁと思ったのが、何年も動いてない上の子供が赤ちゃん時代のグループラインを数年ぶりに引っ張り出して、一方的にデジタル年賀状を送ってきた人。元々、その人は新居を建てた年だけ年賀状を送ってくる分かりやすい人なのだが、急に全員に年賀状を送るのが面倒になったのだろうか。
何よりも、これを送るために化石同然のライングループを、わざわざトーク画面の下の方から引っ張り出してくる労力とメンタルの強さに驚いた。私なら無反応を恐れてそんな博打は絶対出来ないのだが。
そんなこんなで、昨年の散々だった年賀状事件を未だに根に持っているせいか、卑屈丸出しの記事になってしまった。とは言っても、何だなんだ年賀状は毎年楽しみにしている。
やはり、数少ない友人が元気にやっている事も、お子さんの誕生も成長も、ライフステージの変化も、嬉しいことには変わりないし。自分の刺激にもなるし。
しかし、「いつか会いたいね」の「いつか」は、今年も例年のように果たされないのだろうと思う。コロナ禍はもちろんの事、自分も含め、みんなそれぞれ家庭があったり、仕事があったりするので。それでも微かな希望を込めつつ、浮かばない一言メッセージを埋めるために、今年の年末も「いつか会いたいね」を乱発するのだろう。いっその事、もうそんな生存確認だけの関係でも十分なのかもしれない。
年賀状狂想曲〜印刷編〜
皆さま、明けましておめでとうございます。
大晦日は見事に寝落ちしてしまい、年を跨いでのご挨拶になってしまいましたが、昨年は始めたばかりにも関わらず、たくさんの方がブログを見に来て下さった事、心から感謝申し上げます。本年もどうぞよろしくお願い致します。
貧乏底辺な我が家は、ようやく主人の仕事が始まり、ホッと一息着いたところ。コロナ禍ということもあり、今年もどこにも出掛けず、完全ステイホームだった。
しばらくブログが書けなかった間に、やはり色々な事があったのだが、一気に書くとまとまりのない文章になりそうなので、少しずつ書いて行こうと思う。
ということで、新年早々、昨年のことを振り返るのも何だが、まずは備忘録も兼ねて、記したいことが1つ。年賀状パニックだ。
毎年、年賀状作りには苦労する。まずはどのアプリをダウンロードして作るかから始まって、ネットの接続問題、プリンターの設定問題、インクの問題…と毎年同じところで躓いてしまう。
今年こそは!と臨んで挑むのだが、毎年学習しないため同じことの繰り返しである。もちろん2020年も例に漏れずだった。
まず、アプリのダウンロード問題。昨年10年使ったパソコンの調子がさすがに悪くなってきたので、主人の強い要望でMacBookに変えたのだが、そこに有料のソフトを入れるかどうかを相談した結果、結局いつものようにケチってしまい、スマホから無料のアプリをインストールして作ることにした。
しかし、無料のアプリでは住所録が作れない上に、最初にダウンロードしたアプリが受注専門で、家庭内印刷が出来なかったので、もう一度違うアプリをダウンロードするハメに。あまりの面倒臭さに、もう外注してしまった方がいいのではとも思ったけれど、そこもケチって却下に。仕方なく、壊れかけた10年前のパソコンを引っ張り出し、古い住所録から印刷した。
すると、今度は印刷した裏面の色が薄いと主人が騒ぎ出した。そりゃそうだ、そこもケチって純正インクじゃない安いインクを買ったのだから。しかし、今から純正のインクを買う金も勿体ないと言われたので、コンビニ印刷を利用することにした。(こっちも決して安くはないが)
某コンビニに行き、液晶画面に印刷番号を打ち込み、印刷を始める。しかし50枚までしか印刷できないことに気づく。これでは予備の分までは無理だ。しかも、印刷機は小銭しか入らない。仕方なく、レジにいた緑色の長髪を靡かせた若い男性店員さんに両替をしてもらった。
10枚ほど印刷が終わったところで、突然、年賀状が詰まってしまった。係のものを呼んで下さいと液晶画面に表示が出たので、慌ててさっきの緑髪の兄ちゃんを呼んだ。しかし、なかなか詰まりが直らない。「ちょっと、直らないっスね〜」と気怠そうに言いながらも、彼は一生懸命直そうとしてくれていた。
それからしばらくして、今度は「私がやろっか〜?」と青髪の若い姉ちゃんスタッフがやってきた。緑髪と青髪の若者に挟まれる、黒髪半分白髪半分のおばさん。その光景が自分でもなかなか面白くなってきた時、ついにプリンターが直った。兄ちゃんに丁重に礼を言って、印刷の続きを始めた。
しかし、全て印刷を終えて出来栄えを確認してみると、家で印刷したものより幾分かマシなレベルでしかなく、しかも、何枚か途中で切れているものを発見した。印刷の時に掛かった圧力で葉書も丸まっているし。お金を出してこのクオリティでは…とガッカリした。
そんなこんなで流石に疲れ果ててしまい、ケチを貫く主人に、来年は破産してでも有料のソフトを買うぞと迫った。ここまでで数えてみたら3つもケチポイントがあったし。しかもケチった割に結局はかなり金使ってるし。
次回、年賀状狂想曲〜考察編〜に続きます(多分)。
目を瞑りたい黒歴史と対峙する
明日と明後日は仕事なので、今日で大掃除を終わらせた。
開かずの扉と化している物置から引き出しまで、今年は思い切って全て整理した。何年も眠っている不用品は全て捨て、すぐ使うものが取り出しやすいようにしたり、空いたスペースに日用品や子供の文具のストックを詰めたり。モノがどこにあるかを明確にすることで、今までのような無駄買いも減るだろう。
と言うのも、片付ける前の我が家は、それはもう酷い惨状だった。引き出しの奥から何年も前に買ったシャンプーが出てきたり、石鹸が出てきたり、何年も前に引き出物で頂いた缶詰が出てきたり、放置し過ぎたせいで袋にくっついて取れない飴が出てきたり。しかも、この間、食品庫を整理したばかりなのにも関わらずだ。これでは日用品や食品の無駄買いが治らないのは当たり前である。
なので、今度こそはと、全ての引き出しをしっかりチェックし、家にある日用品と食品ストックを整理した。デッドスペースを活用した日用品ストックコーナーと、期限切れのない完璧な食品ストックが出来上がった瞬間はもう達成感しかなかった。(近い将来すぐに崩れる気もするが)これだけで人間として何ランクもレベルアップしたのは間違いないだろう。
そうやっていい気になっていると、急に上の子供が「ねぇねぇ見て見てー!お母さん、お父さんにお姫様抱っこされてるよー!」と、弟と一緒にはしゃぎ始めた。
お姫様抱っこ?…ま、まさか!
何となく事情を察したと同時に、慌てて子供達の元へ走ると、案の定、子供達は私と夫の10年前のプリクラを見て大爆笑していた。片付けの途中で、どこにしまうか迷ったままテーブルに出しっぱなしにしていたプリクラの束。他にいかがわしいショットが無いかを慌ててチェックするも、無かったので安心したが、10年前なので、見た目も精神的にも当たり前に若い。
他にも友人と撮ったものも出て来て、そこに書かれた落書きがあまりに厨二病過ぎて倒れそうになった。愛してちょーだい、だとか、絶賛恋愛中だょ♡とか。当時流行っていた友情ポエム(一生心友的なやつ)のスタンプが押されているものもあって、一瞬死にたくなった。忘れていた過去を30超えてから振り返るにはあまりにも刺激が強過ぎる。
ちなみに、そのプリクラに写っていた友人とは10年以上疎遠であり、一生心友とは言い難い仲である。一生という重たい言葉が、こんなに軽々しいものになるなんて、あの頃は思わなかっただけに悲しい。それもこれも全て、自分がコミュ障を拗らせて引きこもったせいなのだが。
私と主人のプリクラを見ながら大爆笑していた子供達は、赤ちゃんの頃使っていた玩具箱から音の鳴る太鼓を見つけて、そっちに流れてくれたのでホッと肩を撫で下ろした。他にもカルタやらドミノゲームやら色々とお宝を見つけたらしく、家の中がプチテーマパークと化していた。お金をかけずに、眠ったお宝で楽しむ事ができる、これも大掃除の醍醐味である。
気を取り直して再び片付けを進めていくと、明日買いに行こうと思っていた冷蔵庫の脱臭炭やキッチンスポンジや、来客用のお洒落なカトラリーセットなど、私の方でも色々なお宝を発見することが出来た。中でも一番のお宝は、基礎化粧品の試供品一式セット。買ったら1万円ぐらいする美容液がたっぷりと入っていたので、ここぞという時で使おうと思う。
大掃除(と黒歴史)に気持ちを振り回された1日だったが、家も綺麗になり、珍しく主人にも褒めてもらえたし、黒歴史の発掘も含め、宝探し気分で楽しかったし、よしとしよう。
貧乏暇なし主婦、今年も大晦日まで仕事ですが、しっかり稼げるよう頑張ってきます。
貧乏家庭のクリスマス
昨日のクリスマスイブは例に漏れず仕事だった。
貧乏暇なしに加え、販売業で繁忙期ということもあり、浮かれ気分のセレブ街の中で必死にケーキやら寿司やらチキンやらを売り捌いてきた。(デパ地下勤務)
ステイホームが叫ばれているこのご時世なので、今年は外食ではなく、ホームパーティをする人が多いことから、店の中は激混み。客あたりの単価も例年よりも高く、会計を捌くのが大変だった。
しかも、タイミング悪くレジが1台壊れたことに加え、そんな中でも、マイペースにゆっくりとお金を出して、ゆっくりとポイントカードを探して、ゆっくりとお財布をしまって、ゆっくりと商品をしまって、ゆっくりと帰って行く人が今日は異様に多く、久々に「最後尾」と書かれたプラカードが登場するほどの大行列になってしまった。
そう言った人には苛立ちを超えて、本当に驚かされる。後ろの行列を見ても、何にも思わないのだろうか。何の悪びれもなく、後ろの人に詫びもなく帰って行くし。そのせいで、次のお客さんは苛立ちながらお金を賽銭の様に投げて渡してくるし。お待たせしたのは申し訳ないと思うが、ここは神社じゃないし、そもそもまだ正月じゃないし。
どちらの態度も、人の目を過剰に気にしてしまう私からしたら信じられないのだが、こういった人達のメンタルが時々羨ましくなる。脳の作りとかハートとか、全然自分とは違うんだろうなと。一度、分解して1つ1つ見せて欲しいとさえ思ってしまう。
そんな無駄な事をいつもの様に考えながら仕事を終えた後は、子供の通院と家事。気付けば日は暮れていたけれど、1年に1度のクリスマスだから、スーパーに出向き、一番安かったチキンを買った。何とか給料日まで生き抜けたご褒美も兼ねて、この日は奮発した。
中古の壊れかけたオーディオで、サビの一番いいところで一時停止してしまうクリスマスソングを聴きながら、子供の背よりも小さなクリスマスツリーに光を灯して、1年に1度食べれるか食べれないかというご馳走を頬張る子供たちを眺めながら、今年もこぢんまりと過ごした。
すっかり、生きて行くだけで大変な時代になってしまった。だからこそ、今年も変わらず、仕事が出来て、ほんの細やかでも贅沢ができるということは、有り難いほどの大きな幸せだということを忘れずに過ごして行こうと思う。
メリークリスマス!
あと何回同じやりとりを繰り返せば
貧乏な我が家であるが、小学校の水泳の授業で困らないように、子供2人をプールに通わせている。もちろん、サッカー教室と同じく、この近辺で月謝が一番安い教室である。
この教室には知り合いも多く通っていて、毎週のように学校関係やら幼稚園関係の人に嫌でも会ってしまう。今日も子供が着替え終わるのを待っていると、幼稚園で同じクラスの保護者数人に出くわしてしまった。
「お疲れ〜!」
「あっ、お疲れ様…」
「なかなかコロナ落ち着かないねー、園の行事も軒並み縮小だったしやった気しないよねー」
当たり障りのない話を少しばかり交わして、トイレに逃げようと思ったのだが、なかなか会話を切るタイミングが掴めない。すっぱり切れないのもコミュ障ならでは。相手にどう思われるかばかりを気にして、その場に留まってしまう。
「てか、みんな同じ時間だったんだね〜。今、◯◯くん何級?」
「6だよ。△△くんと××ちゃんは?」
私の返答に気を良くする2人。それで何となく察したが、念の為、回答を待つ。
「うちは1〜」
「うちの子は2だよ〜」
「えー!すごいね!もうそんなに泳げるんだ!2人とも上達が早いんだね〜」
いつもの様にワントーンどころかスリートーンぐらい大袈裟に声を高くして、相手を褒めちぎる。早く退散するつもりが、身体に染み付いたヨイショ芸のせいで、自らドツボにハマって行く。
「うん、そうかもね。運動神経はいいから」
「うちも何故か検定は毎回受かるかも〜。普段全然真面目に練習してないのに!」
「そんな事ないよ、△△くん、すごく上手に泳いでたよ!検定に受かるのも、ちゃんと泳ぎが身体にしっかり身についてるからなんだよね!」
形だけでも謙遜されたら、されっぱなしにするのも何だか気持ち悪い。なので、更なるヨイショで持ち上げるしかない。自分でも、よくここまで調子のいい言葉が次から次へと出てくるものだなと感心する。
気付けば、1級差の△△くんママと××ちゃんママの間に、張り合っている空気を感じた。二人とも顔は笑ってても口元はプルプルしている。もう完全に私は蚊帳の外。子供もちょうどいいタイミングで着替えを終えてくれたので、やっとこのマウント合戦から解放される。
「じゃぁ、またー!」
満面の笑みを貼り付けて、この場を去った瞬間、大きなため息が出た。
こうなるのが分かっていたから、水泳もやらせたくはなかった。自分の子供の級で親同士が張り合うのは目に見えていた。
だけど、私自身が子供の頃カナヅチで、水泳の授業で非常に苦労した。なので、子供には同じ苦労をさせたくなくて、通わせているのだ。
幸い、子供は今まで一度も行きたくないと嫌がった事はないし、他の子に比べたら、ゆっくりかもしれないけれど、着々と1つずつ上達出来ているし、何より、上の子供が水泳の授業で全く苦労をしていないので、結果、良かったと思っている。
ちなみにこのやり取りは、別の保護者ともしている。毎週毎週、すごーい!と感嘆し、バカみたいによその子を褒めちぎっている。
しかし、驚いたのは、隣で話していたママグループでも、同じような会話が繰り広げられていた事。私だけじゃなく、みんなヨイショ病なのか。そう考えると、ママ友社会も、サラリーマン社会と本質自体はあまり変わらないのかもしれない。
とは言え、くだらないマウント合戦に気を取られ過ぎて、子供の成長を見逃してしまうのは、親として失格だ。外野の声に惑わされず、子供の可能性を信じ、もっとドンと構えていなければ。
理不尽は全て金に換える
下の子供の冬休みの預かり保育が開始したので、久しぶりに子供を預けてパートに出た。先週の平日は子供が在宅でほとんど休んでいたので、今月の稼ぎも雀の涙ほどにしかならなさそうだ。
「◯◯さん。これ、ここじゃないんだけど。」
朝、備品の置き場所が30センチずれているという理由で、お局様に怒られた。
しかし、それを置いたのは私じゃなく、お局様お気に入りの子だった。
「いや…それは、私じゃ」
「てか、ここに置く事は初めから分かってるでしょ。気をつけて下さい。」
私の必死の反論も、お局様の声に無惨に消される。
えー、そりゃないよ…と、悶々としながら仕事をしているうちに、また備品の位置がズレていた。しばらくしてお局様がそれに気が付いたのだが、どうやら今度はお局様お気に入りの明るい主婦さんが動かしてしまったらしい。
「もー、◯◯さーん!これここじゃないでしょー?直しておくからねー(満面の笑み)」
「あー!ごめんなさぁーい!お願いしまぁす♡」
おいおーい!
あからさまにさっきと対応違いすぎないか!?
直しておくからね?え?そんなこと言われなかったけど!?
いくら私が仕事も出来ないクズで地味で暗くて何の面白みもない人間だからって、毎日やる気に溢れてて細くて可愛くて笑顔が素敵な彼女を特別扱いし過ぎだろ!!
しかも、この日は珍しく引き継ぎ事項があったのだが、大事な事なのにお局様に聞いてもらえなかった(ほとんど無視)。また後になって引き継ぎが出来てないと怒られても腹が立つので、私の後に入る優しいパートさんに引き継いで、文句を言わせないでおいた。
結局、備品の位置もあれから何度も変わっていて、私が帰る頃には、30センチどころか1メートルも移動していた。もう何が正解か分かんねーよ…
そんなこんなで、家庭だけでなく、相変わらず仕事でも踏んだり蹴ったりの日々を送っている。理不尽なことは山ほどあるけれど、それは雇われている以上、仕方がないことだとも思う。納得はいかないが。
これからも、セレブ街に生きる誇り高き底辺として、泥臭く働いていかなければ。生きるためには、理不尽なことも飲み込んで、全てを金に変えてやろう。