底辺でも誇り高く生きる日記

貧乏・コミュ障・卑屈の三重苦主婦です

年賀状狂想曲〜考察編〜

 

 

先日の恥でしかない情けない記事を、たくさんの方が読んで下さったようで感謝しております。

 

今日も宣言通り、年賀状ネタをしつこく書かせて頂きます。

 

 

昨年も数々の苦難を乗り越えて、何とか年内に年賀状を出し終えることが出来た。そして、迎えた1月1日。友人知人が少ない私にとって、この日は自分が寂しい人間だと言うことを心底痛感する日だ。

 

暗黒の学生時代を送り、消し去りたいほどの勘違い期を経て、コミュ障を拗らせ引きこもった私宛ての年賀状は、安定した人生を送ってきた主人の年賀状の枚数と倍近く違う。もちろん、こんな私に年賀状を送ってくれる人がいるだけ感謝しているのだが、ほとんどが主人の年賀状の中で、自分宛ての年賀状を探すのはなかなか至難の業だ。

 

数少ない友人からの年賀状は、お子さんとご主人との仲良しな家族写真がほとんどだった。例年は海外旅行やテーマパークでの写真入り年賀状が送られてくるのだけれど、今年はコロナ禍ということもあり、自宅や公園で撮ったものが多かった。なので、毎年自宅か公園での写真を送っている私も、今年だけは無駄に堂々とすることが出来た。

 

一方で、このコロナ禍の中、子沢山になった友人が何人かいた事に驚いた。こっちはあと一人増えたら間違いなく破産行きであるというのに。どこにそんな余力が残っているのだろうか…

 

 

あと、疑問というか何だかなぁと思ったのが、何年も動いてない上の子供が赤ちゃん時代のグループラインを数年ぶりに引っ張り出して、一方的にデジタル年賀状を送ってきた人。元々、その人は新居を建てた年だけ年賀状を送ってくる分かりやすい人なのだが、急に全員に年賀状を送るのが面倒になったのだろうか。

 

何よりも、これを送るために化石同然のライングループを、わざわざトーク画面の下の方から引っ張り出してくる労力とメンタルの強さに驚いた。私なら無反応を恐れてそんな博打は絶対出来ないのだが。

 

 

そんなこんなで、昨年の散々だった年賀状事件を未だに根に持っているせいか、卑屈丸出しの記事になってしまった。とは言っても、何だなんだ年賀状は毎年楽しみにしている。

 

やはり、数少ない友人が元気にやっている事も、お子さんの誕生も成長も、ライフステージの変化も、嬉しいことには変わりないし。自分の刺激にもなるし。

 

 

しかし、「いつか会いたいね」の「いつか」は、今年も例年のように果たされないのだろうと思う。コロナ禍はもちろんの事、自分も含め、みんなそれぞれ家庭があったり、仕事があったりするので。それでも微かな希望を込めつつ、浮かばない一言メッセージを埋めるために、今年の年末も「いつか会いたいね」を乱発するのだろう。いっその事、もうそんな生存確認だけの関係でも十分なのかもしれない。

 

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